お米と算額

神社の境内で見かけた稲穂。新嘗祭が近いことを思い出した。

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そう言えば、我々は食事をとることをご飯を食べるという言い方をする。米は「同じ釜の飯を食う」「米一粒汗一粒」などのことわざや芭蕉「田一枚植えて立去る柳かな」など俳句にも多く詠まれている。日本人にとって米は単に主食としてのつながりを超えて、産業、経済、文化に深く関わっているといえる。

ところで、江戸時代には新田開発奨励に伴う治水工事や都市整備としての用水路工事などを通じて土木技術は飛躍的な発展を遂げ、それにはいわゆる江戸時代の数学である和算が使われた。和算は土木・建築、財務、さらに暦など実用的な計算法として発展し、やがて実用性を超えて学者や官吏だけでなく一般の数学愛好家を生み出し享和・文化文政の頃に隆盛を極めたという。

和算の難問が解けたときには、神仏に感謝しさらに勉学に励むことを祈念してその解答法を額にして奉納した。また、難題を算額にして奉納し、別の人がそれを解答した祈念の奉納額もある。まさにその時代、神社仏閣は数学ゲームを支える役割を果たしていたと思うと妙に楽しくなる。

全国の神社には今でも算額という奉納額がかなり残されている。(算額は、ホームページ和算の館に詳しい


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写真は寛政12年正月(1800)に長野県木島平村の水穂神社奉納された算額。(ホームページ/和算の館より)



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この額も文政12(1829)、同水穂神社に奉納された測量図の算額。(ホームページ/和算の館より)

仲秋とあるので陰暦8月、いかにも趣がある。



写真.JPGのサムネイル画像

渋谷金王神社に残る算額。四国の伊予西条の藩士が安政6年に奉納したもの。


三枚とも素晴らしいデザインで、見ていて飽きることがない。


長野県の木島平村には8面の算額が残っており、山間部の小さな村としては極めて珍しいことらしく、いかに和算が広範囲な地域に盛行していたかを忍ばせて興味深い。

かつては米の収穫増加を目指した新田開発の測量にも和算が大いに力を発揮したわけだが、現在でも算額を受け入れる神社があり、奉納する人もいると聞く。


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このページは、ディ・ジャパンが2013年11月14日 17:58に書いたブログ記事です。

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