D・JAPANオリジナルペーパークラフト「クリスマスツリー」の
写真を送っていただきました。
■神奈川県在住のSさんからいただきました。
ペーパークラフトXmasツリーをダウンロードして作りました。
我が家の下駄箱は犬、猫、ロバと何でもありの飾り棚ですが、
今年はクリスマスツリーが加わり、一段と賑わいも増しました。
ありがとうございました。
■栃木県在住のTさんからいただきました。
ペーパークラフトに少し興味を持って探していたら
簡単にできそうなクリスマスツリーを見つけとってもラッキーでした!
クリスマスも近いので子供と一緒に作ってみたので見てください (>o<)/
上手に作っていただきありがとうございます。
皆様で楽しんでください。
まだまだ、ペーパークラフト「クリスマスツリー」の完成写真待っています!
神社の境内で見かけた稲穂。新嘗祭が近いことを思い出した。
そう言えば、我々は食事をとることをご飯を食べるという言い方をする。米は「同じ釜の飯を食う」「米一粒汗一粒」などのことわざや芭蕉「田一枚植えて立去る柳かな」など俳句にも多く詠まれている。日本人にとって米は単に主食としてのつながりを超えて、産業、経済、文化に深く関わっているといえる。
ところで、江戸時代には新田開発奨励に伴う治水工事や都市整備としての用水路工事などを通じて土木技術は飛躍的な発展を遂げ、それにはいわゆる江戸時代の数学である和算が使われた。和算は土木・建築、財務、さらに暦など実用的な計算法として発展し、やがて実用性を超えて学者や官吏だけでなく一般の数学愛好家を生み出し享和・文化文政の頃に隆盛を極めたという。
和算の難問が解けたときには、神仏に感謝しさらに勉学に励むことを祈念してその解答法を額にして奉納した。また、難題を算額にして奉納し、別の人がそれを解答した祈念の奉納額もある。まさにその時代、神社仏閣は数学ゲームを支える役割を果たしていたと思うと妙に楽しくなる。
全国の神社には今でも算額という奉納額がかなり残されている。(算額は、ホームページ和算の館に詳しい)
写真は寛政12年正月(1800年)に長野県木島平村の水穂神社奉納された算額。(ホームページ/和算の館より)
この額も文政12年(1829年)、同水穂神社に奉納された測量図の算額。(ホームページ/和算の館より)
仲秋とあるので陰暦8月、いかにも趣がある。
渋谷金王神社に残る算額。四国の伊予西条の藩士が安政6年に奉納したもの。
三枚とも素晴らしいデザインで、見ていて飽きることがない。
長野県の木島平村には8面の算額が残っており、山間部の小さな村としては極めて珍しいことらしく、いかに和算が広範囲な地域に盛行していたかを忍ばせて興味深い。
かつては米の収穫増加を目指した新田開発の測量にも和算が大いに力を発揮したわけだが、現在でも算額を受け入れる神社があり、奉納する人もいると聞く。
あまりに近い! 本州と九州
先日久しぶりに関門海峡を渡った。初めて訪れる人は、手にとるように近い本州と九州の距離に、まず驚くであろう。狭い所ではわずか700mにも足らない関門海峡は、言わずと知れた源平合戦壇ノ浦の戦いの舞台で、潮流の変化が激しく、そのことが源平合戦の勝敗に影響したともいわれている。
果たして眼前の潮の流れは確かに激しそうに思える。
この海峡を眺めていると、古来より海上交通の要所であるということが、不思議と実感できる。太平洋戦争末期には5000発の機雷が米軍によって設置されたという。図らずも今日、発見された機雷が爆破処理されたとのニュースがあった。
この海峡は戦いの歴史なのである。ところで、武蔵と小次郎の決闘で有名な巌流島もこの海峡域にある。
写真:本州下関側から北九州市を望む
しばらくぶりの更新で、ちょっと古いニュースですが・・・
今日で従来の東横線渋谷駅がなくなるということで、渋谷駅は撮り鉄とにわか撮り鉄で大混雑であった。最終便は深夜にもかかわらず乗り鉄で超満員だったらしい。
最終便を下車したあとは、新規相互乗り入れの始発を乗り鉄するということでしょうか?
ところで、開通前から大混雑が危惧されていた東横線と副都心線の相互乗り入れ渋谷駅ですが、それ以上の状態に陥っている様子。
ネットでも、もはや「駅としての機能」に疑問を持たざるを得ないと、多くの書き込みがあり、新聞のニュースにもなっている。私の通勤で体験したことを後日掲載したい。みんな撮り鉄になった夜